自給自足で暮らす人「都会の人間の目は腐ってる」?
穀物野菜部会の活動に対し、
「利益を主張されるのであれば有機農業とは儲からないものであるのが前提なのに、なぜそういう有機農研にいらっしゃるのか不思議です」
というご指摘を頂きました。
もしそのような方だけの会が必要であれば、
もしくは自分と違う観念の有機農業を否定するのであれば退会をお勧めします。
私は儲からない有機農業を受け入れますが、
あなた方がそういう感覚であるのであれば退会されたほうがお互いのためでしょう。
強くお勧めします。
都会のアパート暮らしと比べて一人あたりの生活に必要な面積を膨大に占有し、
移動のたびに大量のガソリンを個人のために使い、
その生活の維持のために多くの税金を投入されているのが現在の農村であります。
そういった地域で、
与えられた土地と税金投入に見合うだけの生産量を世の中に供給することを良しとする有機農家もいます。
自給自足とは違う
人と人との関係の中でお互いの利点を生かして信じ合い、社会と共生していくために生きていく有機農業もあります。
家族を養い、地域に雇用を生み出し集落を維持していく有機農業もあります。
子供といえど有機農業を押し付けるわけにはいかないので、大学に行かせるために必死になって働く有機農家もいます。
もちろん都会でたんまり稼いできて、立派なログハウスを立てて、
自分のためだけのこだわりの有機を実践し
誰かが植えた木を他所から来て切り倒して薪にしてお風呂に入って良しとする有機もあるでしょう。
そういった多様な有機農業の中で特定のやり方以外を否定することは穀物野菜部会では行なっておりませんし、
長野有機農研でも行ってないと信じています。
以上、管理人関谷の個人記事でした。
おはようございます。ヘキチです。入金しました。「ジュンは不純です。」
>長野有機農研ではなかなか語られないことに対してコメントいただき大変嬉しく思います。
★いえいえ、こちらこそ「日本の農家・農村・農業」に関し語る場が少ないので、感謝しています。
調子こいて、コメントします。
>この投稿はあくまで「有機農業は儲けてはいけない」という主張に対して、
>有機農業には色々なスタイルがあって良いということを述べているので、
>したがって山間僻地さんのおしゃることは根本的にこここではズレています。
★ごめんなさい、
私は某帝国大学の「農史講座」の院試に落ちたという暗い過去を有するもので、
そのため、また、最近「自給自足」に関する二次資料を発見したので、
「自給自足」に過剰に反応しました。
★私は、ビジネス系有機農業者VSダメ農業者のファンという構図での
日本の農家・農村・農業と関係の無い「自給自足」をネタに
内輪揉めしていると感じました。
★ですから、日本の農家・農村・農業と多大な関係を有する「農家・農村・農業の自給自足」
(当然、個々のさまざまな農家の「農家経営・農業経営」に直結します。)に関して議論する方が
おもしろいです。
★「有機農業は儲けてはいけない」という主張に対しては、
「ハイ解りました。お金ください。ありがとうございます。」でしょう。
あるいは、
「有機農業も儲けてもいい」と懇切丁寧に説明するのが親切な行為でしょう。
★ところで、「農業と有機農業の儲け」って何でしょうか?
儲けたことがない私は、
本当の脱走兵という輝かしい過去を持つ師の奥さまの書物に縋り付きます。
>しかしお恥ずかしながら「個々の農家の「農家経営・農業経営」があるのはおかしい」というそれ以前の風潮が有機農研ではあったりもするのです。
★っていうか、私の経験では、最近の有機農研系の有機農業運動では「農業経営」という概念がないように感じられました。「農家経営」という概念は最初から、ほとんど無かったと感じました。
>有機農業とは自給自足が当然。
★ここでイメージされている「自給自足」は、
日本の農家・農村・農業と関係の無い「自給自足」だと感じます。
>あってもの延長上での提携型農業こそが正しく、
★正しいか間違っているか判りませんが、
有機農業ではない提携型農業もたくさんあります。ありました。
>法人化したり
★法人税という問題以外で、法人化を否定する論拠が判りません。
>大規模であったりするのは良くない。
★「農家経営・農業経営」も無いうえでの、「大規模」ですから、、。
「農家経営・農業経営」も少しは考えましょう。
>そうゆう思い込みにたいする初歩的な議論をまだまだ話さなけらばならない状況が今の有機農研にあるのです。
★お時間あるときにでも、話しましょう。
>またここでは「自給自足的こそが正しい」ということに対する答えの一つとして松本さんの動画を載せていますので。適切です。
そういうものだとご理解ください。
★理解しました。
>具体的な不適切な点を述べていただければ考慮しますが、誰かが不適切だと言ったくらいでは削除しませんのでご安心を。
★一度しか見ていませんが漫才師の松本さんが述べている「自給自足」は、
日本の農家・農村・農業と関係の無い「自給自足」と私は判断したので、
不適切だと感じました。
ただ、多くの人がイメージする「自給自足」が
日本の農家・農村・農業と関係の無い「自給自足」という現実があります。
とりあえづ、
入会されたのでしょうか?おめでとうございます今後とも宜しくお願いします。
>★私は、ビジネス系有機農業者VSダメ農業者のファンという構図での
>日本の農家・農村・農業と関係の無い「自給自足」をネタに
>内輪揉めしていると感じました。
>★ですから、日本の農家・農村・農業と多大な関係を有する「農家・農村・農業の自給自足」
>(当然、個々のさまざまな農家の「農家経営・農業経営」に直結します。)に関して議論する方が
>おもしろいです。
僻地さんが感じたことと違って、この投稿文章はあくまで「有機農業は儲けてはいけないという一辺倒な考え方」への反論です。
僻地さんが面白いことと思うことに関してはまた会でご提案頂ければと思います。
こちらに原稿をお寄せいただければ記事としてご紹介させて頂きますので宜しくお願いします。
また「ビジネス系有機農業とダメ農業者のファン」と言う構図も言葉の定義もよくわかりません。私はそういうことを書いてはいません。思い過ごしかと思います。
>★「有機農業は儲けてはいけない」という主張に対しては、
>「ハイ解りました。お金ください。ありがとうございます。」でしょう。
>あるいは、
>「有機農業も儲けてもいい」と懇切丁寧に説明するのが親切な行為でしょう。
私はそう考えていないのでそうは書いてない旨ご了承下さい。また何がいいか悪いかを討論しているのではなく、
有機農研ではいろいろな形で有機農業に関わっているということを説明している次第です。
ですからその様なご指摘は的外れになります。
>★ところで、「農業と有機農業の儲け」って何でしょうか?
>儲けたことがない私は、
>本当の脱走兵という輝かしい過去を持つ師の奥さまの書物に縋り付きます。
すみません。ご質問内容が理解できません。
>★ここでイメージされている「自給自足」は、
>日本の農家・農村・農業と関係の無い「自給自足」だと感じます。
私はその様に書いておりませんのでそのイメージ抜きで読みなおしていただければご理解の足しになるかと思います。
>★っていうか、私の経験では、最近の有機農研系の有機農業運動では「農業経営」という概念がないように感じられました。「農家経営」という概念は最初か>ら、ほとんど無かったと感じました。
そう感じられたのはあなたの問題だと思います。
>★正しいか間違っているか判りませんが、
>有機農業ではない提携型農業もたくさんあります。ありました。
それは正しいです。そういう形もあることを認めようというのが今回の文の主旨です。
>★法人税という問題以外で、法人化を否定する論拠が判りません。
私は否定していませんので私もわかりません。
>★「農家経営・農業経営」も無いうえでの、「大規模」ですから、、。
>「農家経営・農業経営」も少しは考えましょう。
これも誰に対して言っているのかわかりません。
察するに、たぶんあなたの何かの思い込みとか経営についての認識不足でしょう。
>★一度しか見ていませんが漫才師の松本さんが述べている「自給自足」は、
>日本の農家・農村・農業と関係の無い「自給自足」と私は判断したので、
>不適切だと感じました。
>ただ、多くの人がイメージする「自給自足」が
>日本の農家・農村・農業と関係の無い「自給自足」という現実があります。
私はあなたの判断能力やイメージ、自給自足の言葉の定義について存じ上げません。ご了承くださいませ。
つづきです。
>都会のアパート暮らしと比べて一人あたりの生活に必要な面積を膨大に占有し、
★一戸当たり経営耕地面積(販売農家) 都府県平均 1.46 Ha 農家の家屋面積はネット上では不明。
>移動のたびに大量のガソリンを個人のために使い、
★ガソリン税(揮発油税+地方道路税)・・・「53.8円(1リットルあたり)」プラス消費税
★バイオ燃料という自給自足もある。もちろん、徒歩や移動しない(相手が移動する)という自給自足もある。
>その生活の維持のために多くの税金を投入されているのが現在の農村であります。
★改行の仕方が解らないが、この理論はいただけない。農村の農家の生活の維持のために投入した多くの税金は、農村の農家の生活の維持をとうし下記の事例のように「都市・都会・マチ場」へしっかり還元している。
例えば、>子供といえど有機農業を押し付けるわけにはいかないので、大学に行かせるために必死になって働く有機農家もいます。
★たとえ、農村に有っても大学=「都市・都会・マチ場」でしょ。受験料、入学金、授業料、生活費等々の形で、東京農大の特待生でも、農村のお金が、都市に還元しています。
>そういった地域で、
>与えられた土地と税金投入に見合うだけの生産量を世の中に供給することを良しとする有機農家もいます。
★農家・農村・農業の多面的機能や、デ・カップリングを否定する理論を掲げることは、あまりよろしくないかと。
>自給自足とは違う
>人と人との関係の中でお互いの利点を生かして信じ合い、社会と共生していくために生きていく有機農業もあります。
★「自給自足」は、農家の農家経営と農業経営の理念で、ありまして、「人と人との関係の中でお互いの利点を生かして信じ合い、社会と共生していく」という、思想信条、哲学とは基本的に関係ないかと、、、。「人と人との関係の中でお互いの利点を生かして信じ合い、社会と共生していくため」の「自給自足」もあります。
>子供といえど有機農業を押し付けるわけにはいかないので、大学に行かせるために必死になって働く有機農家もいます。
★この事も、「自給自足」と関係ないかと、、、、。
>もちろん都会でたんまり稼いできて、立派なログハウスを立てて、
>自分のためだけのこだわりの有機を実践し
>誰かが植えた木を他所から来て切り倒して薪にしてお風呂に入って良しとする有機もあるでしょう。
★もちろん都会で稼げず、農村でも稼げず、親の小屋に住み、
父親が農地解放で手に入れた農地で、「種、農薬、肥料、農業機械、農業資材」も買えづ、借金もできず、補助金ももらえづ、自分と家族の食うための「産業として成り立っていない」こだわりの農業を「家族労働」のみで実践し
誰も使っていない入会林野の木を、間伐だと言って他所から来て、拾ってきたノコで切り倒して、背負って運んで、薪にして、川から水を拾ってきたバケツで運び、ドラムカン風呂に入って良しとする「仕方なし自給自足農家」・「今思えば、結果的有機農家」も、昭和40年代ごろまでは、普通に存在していたでしょう。
山間僻地さま
すみません。個々に文章にコメントされていますが、全体を通して一体何を指摘したいのかがわかりません。
>★一戸当たり経営耕地面積(販売農家) 都府県平均 1.46 Ha 農家の家屋面積はネット上では不明。
これはネット調べるまでも無いですよね?何か問題でもあるのでしょうか?
>★ガソリン税(揮発油税+地方道路税)・・・「53.8円(1リットルあたり)」プラス消費税
>★バイオ燃料という自給自足もある。もちろん、徒歩や移動しない(相手が移動する)という自給自足もある。
この指摘も文脈からして意味がわかりません。「移動のたびに大量のガソリンを個人のために使い」という事実に対してなにを提示したいのでしょうか?
>★改行の仕方が解らないが、この理論はいただけない。農村の農家の生活の維持のために投入した多くの税金は、農村の農家の生活の維持をとうし下記の事例のように「都市・都会・マチ場」へしっかり還元している。改行の仕方が解らないが、この理論はいただけない。農村の農家の生活の維持のために投入した多くの税金は、農村の農家の生活の維持をとうし下記の事例のように「都市・都会・マチ場」へしっかり還元している。改行の仕方が解らないが、この理論はいただけない。農村の農家の生活の維持のために投入した多くの税金は、農村の農家の生活の維持をとうし下記の事例のように「都市・都会・マチ場」へしっかり還元している。
これも還元しているなら問題ありません。還元するためには社会や経済に関与する必要があります。農村に住んでれば還元されるのではなく、農村に住んでて還元できるような行為をして初めて還元できるのです。そこをご理解ください。
ただおそらく、山間僻地さんのお話で致命的な欠点は相対的な物の見方ができていないことです。還元されているのと十分に還元されているのは意味が違います。
もしあなたが山奥の一軒家に住んでいて自給自足をしている。国はそこまでの道路やら水道やら除雪やらスクールバスやら色々な公共サービスをする。それに対して僅かな税金を払う。あなたはこれを「還元」と言っているようなものです。
事実は農村が都会の富を収奪しているのが実情です。ほとんどの地方自治体は独自の予算で自治体を維持できていません。地方交付税、農村への補助金色んな負担をしてもらっています。
★たとえ、農村に有っても大学=「都市・都会・マチ場」でしょ。受験料、入学金、授業料、生活費等々の形で、東京農大の特待生でも、農村のお金が、都市に還元しています。
そうですよ?「そうするために頑張る有機農家もいる」という事を述べているのですが、この指摘は何が言いたいのでしょうか?
>★農家・農村・農業の多面的機能や、デ・カップリングを否定する理論を掲げることは、あまりよろしくないかと。
農家・農村・農業の多面的機能や、デ・カップリングを否定する理論を掲げるいる箇所を挙げてください。私はそれを否定していませんが?当然、多面的機能はボランティアや税金ではなく生産者の利益で維持されるのがいいでしょうね。少なくとも我々の祖先は多面的機能のためではなく豊かになるために田畑を築きました。そういった先人思いをお忘れなく。
。。。以降もわけわからないのですが、
基本的に山間僻地さんがコメントをつけている箇所は
「そういった有機農家もいる」という例示です。
「自給自足」を否定しているのではなく。
「自給自足だけが正しい」という論調に対し「色んな有機農業の動機があるよ」と言っているので、山間僻地さんのコメントはちょっとずれてて答えようがありません。
強いて言うなら
>★この事も、「自給自足」と関係ないかと、、、、。
その指摘はこの記事と関係ないかと、、、、、。
こんにちは。初めまして、山間僻地と申します。
昔、だいぶむかし、長野県有機農業研究会だったものです。
この、サイトを祈念して、また研究会に参加したいとも考えています。
さて、農家の時給、いや「農家の自給(運動)」あるいは「農家の自給理念・営農(経営)方針・理念」に国民の皆様並びに納税者の皆様に深いご理解と愛情を給うために、書き込みます。
いきなり結語:「農家の自給(自足)」は、個々の農家の「農家経営・農業経営」の話です。当然のことながら、(予想すると)長野県有機農業研究会は有機農家およびファンを含めその界隈の人々の集団ですので、「農家経営、農家の農業経営」の視点で議論することを、おすすめします。その意味で、漫才師の松本さんのヴィデオクリップ(動画)は不適切です。が、残しましょう。
とりあえづ
山間僻地さまありがとうございます。管理人です。
長野有機農研ではなかなか語られないことに対してコメントいただき大変嬉しく思います。
さて、
この投稿はあくまで「有機農業は儲けてはいけない」という主張に対して、有機農業には色々なスタイルがあって良いということを述べているので、
当然のようにあって良い個々のさまざまな農家の「農家経営・農業経営」の内容についてはここでは触れていません。
したがって山間僻地さんのおしゃることは根本的にこここではズレています。
もちろんおしゃるように個々の農家の「農家経営・農業経営」について語ることは大事です。
しかしお恥ずかしながら「個々の農家の「農家経営・農業経営」があるのはおかしい」というそれ以前の風潮が有機農研ではあったりもするのです。
有機農業とは自給自足が当然。あってもの延長上での提携型農業こそが正しく、法人化したり大規模であったりするのは良くない。
そうゆう思い込みにたいする初歩的な議論をまだまだ話さなけらばならない状況が今の有機農研にあるのです。
またここでは「自給自足的こそが正しい」ということに対する答えの一つとして松本さんの動画を載せていますので。適切です。
そういうものだとご理解ください。
具体的な不適切な点を述べていただければ考慮しますが、誰かが不適切だと言ったくらいでは削除しませんのでご安心を。