”Do, or do not. There is no try.”

Do, or do not. There is no try.“ (『やる、『やらぬかだけじゃ。『やってみるというのは無い)

映画スターウォーズ内でヨーダがルークに修行させる際に与えた言葉です。

「やってみる」「挑戦する」はそれはそれで大事です。
有機農業の18年はまさにその連続で、この地で前例がない有機農業という仕事は「やってみる」がなければ進みことができませんでした。
それはまるで暗闇の中、ありこちに手を伸ばし、伝わっていける壁を探しているようなものです。
ただ、まあ、暗闇の中では確実といっちゃ確実な方法で、リスクも少なく、それでいいちゃ良い道のりです。
私もそういう場所でリスクも少ない分、「やってみる」に慣れすぎてきたことも事実です。
先日記事にした2017年作付け計画を有機多品目時代と比べる | 有機から慣行農場へ | あさひや農場でお見せした有機多品目時代の作付け計画が膨大な品目数になっているのも、結構な数の「やってみる」品種が多かったからです。
この「やってみる」の品種が、もっと絞って「この品種に賭けてみる!」くらい投資を伴うものだったら真剣にやってものになったかもしれないけど、畑の端っこにちょっと試しに植えたくらいの作物だと夏の忙殺に埋もれさせてしまい、結局「やっただけ」に終わっちゃってきたのです。
ちゃんとした有機農家はPDACサイクルを回すわけですが、PDどころかDの半分のPIまでで残りのつACまで至らない。

吾れ 十有五にして学に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。

と論語にもありますが、「やってみる」とか言ってられるのは若いうちだけです。
大人なら、そして経営者なら、暗闇の中でも、そこに谷間があることを「知って」飛び越えなければなりません。
それをやってのけるのに有機農業という手段より、慣行農業という手段のほうが私にはしっくり来るようです。

昨年のうちは18年の有機の経験を元に慣行栽培に移行しても「やってみたいこと」が沢山ありました。
例えば「この時期は有機で作ってみる」とか「この作物には有機の技術をミックスしてみる」とか「この時期は試しにこれをやってみる」とかです。
もう20日で本格的な慣行農業に突入する今、「やる」と決めた投資と今年確実に回さなければならないキャッシュフローを見返すたびに「やってみる」程度のことはどうでも良くなってきました。それどころじゃない。
笹食ってる場合じゃない。

パンダでさえそうなのだから経営者が笹食ってる場合じゃない

「慣行栽培に有機技術を入れてみる」とかそういうのを「やってみる」前に、
まずは慣行農業をしっかり「やる!」

べきかなと思うわけです。

だから誘惑しないでください。

(ちなみに「やってきた」にんじんジュースや黒うどん等は変わらずにやってきたとおりにやります。)


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