引越しにつきあさひや農場の住所が変わりました。

「農場」というと中心となる農家や倉庫とそれを取り囲む広大な農地をイメージするかと思いますが、あさひや農場は「農場」と言いつつも点在する借農地と農地とは離れた場所の住居からなります。

初代住宅は標高1080mの広大な農地に囲まれた藁葺農家でしたが、住居を囲む広大な農家などは新規就農者の私には借りれず、全て他の人が耕作している農地でした。

それでも見た目は農家風の建物だったのですが、薪の風呂の煙突火災が原因と思われる火災で消失しました。

2代目は「農場」は町の新規就農センターでした。火事で棲家を失った私たちに町の方々の懇意で本来は研修生にのみ貸し出されている新規就農センターの1室を貸していただいたのでした。

新規就農してはじめて過ごした「きゅっとひねればお湯の出る生活」は世の中では当たり前ですが私たちにはとても感動的なものでした。この時「便利な生活を受け入れて、その分仕事でこだわろう」という考え方を受け入れることにしました。

また広い農家風の建物に過去の思い出や「これから使うはずのガラクタ」をいっぱいつもこんだ生活をしてきましたが、火事でそれらのほとんどを失いました。そして今までと違い家の周囲にも物を置けず、倉庫も限られる、住居は2LDKに済むことになり、手狭になった私たちには「物を持たない生活」に適応することになったのです。

普通の農家なら当たり前にある広いたくさんの倉庫、そういったものが限られている私たちには、「場所」は「お金」よりも貴重なものになったのです。「まとめ買いしない」「買いだめはしない」「無駄な在庫を持たない」「物を持たない」「物を他人と共有する」「他人のものを借りる」。こういったことは従来の農家では逆の傾向があるし、かつては私も逆でした。

さて、新規就農センターはとても居心地のいい施設でしたが、町の懇意に甘え続けるわけには行きません。ここは新規就農希望者の研修施設なのです。また私たちも物を持たないと言っても「収穫物を越冬させるスペース」が必要でした。そこで偶然、農村ではめったにないことなのですが「借家」と看板が出てる家を見つけることができました。新規就農センターに居住して3ヶ月ほどで私たちは引っ越したのです。

3代目の家は国道沿いのコンクリート造7LDKの住宅でした。ここの国道は車の往来が激しく、田舎暮らしとは程遠い街中の家でした(と言っても家の直ぐ裏は田んぼでしたが)この家には店舗スペースがありそこにお米をしまったり、越冬ジャガイモやカボチャをしまうことができました。しかし住居としては私たちには広く実際には3部屋ほどを使っていただけになります。

この家に住んでいるあいだにようやく私たちは自分たちの農地の中心に土地を購入することができました。ようやく終の棲家となる家を建てる希望が見えたのです。

しかし、まだ家を立てる予算も時間もないまま、契約上の都合で(大家さんの家族が使うことになって)引っ越さざるをえないことになりました。

私たちには大きく分けて2つの引越し先の選択肢がありました。

一つは倉庫付きの農家向けの住居です。自分たちの居住スペースはもちろん倉庫や食品加工スペース、お客さんが泊まる部屋、宴会をする部屋が十分に確保できます。しかし、建物は古く、ある程度お金をかけて手直しする必要があります。

もう一つは町営住宅です。3DKですが、済むのにもちょっと手狭な上に、農家としての機能を家に求めることができません。

結果として、私たちは町営住宅を選びました。最大の理由は快適に済む維持コストが安いからです。

家はまた限り無く狭くなるので、家から農家の機能を分離することにしました。

貯蔵スペースや倉庫としてに機能は既存の農地の倉庫とこれから建てる家に新たに新設する倉庫に移動します。食品加工スペース、お客さんが泊まる部屋、宴会をする部屋は外部施設を利用することで確保します。

問題は事務スペースですがこれだけは家に残します。私たちは資料の殆どをデジタル化してるし、「用済みの資料」を見分けて処分する能力はあるので事務に関わるスペースはほんとに少ないのです。

事務作業スペースはリビングのテーブルです。食事の度には片付けますから、常に作業スペースは片付いていることになるのです。

今度の住居は高台にあり、農地も近くなりました。

写真は家の2階からの景色です。谷にあるコンクリート柱は私の農地を奪った高速道路の橋です。谷の向こうの高台の集落が私が耕作している農地のある集落で、集落の向こう側に最終的なあさひや農場の本拠が置かれることになる土地があるのです。

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(新住所はあさひや農場HP 有機野菜のあさひや農場 » 有機野菜のあさひや農場 » 訪問販売法による表示をご参照お願いします。)